2024年10月17日に俳優の西田 敏行(にしだ としゆき)さんが亡くなられました。
そんな西田さんの奥様である寿子(ひさこ)さんは、若い頃からキレイで女優だったようです。
そこで今回は、
- 西田寿子のwikiプロフィール&経歴まとめ
- 【顔画像】西田寿子は若い頃から綺麗で元女優!西田敏行の妻だった!
上記について、まとめてみました。
西田寿子のwikiプロフィール&経歴まとめ
まずは、寿子さんのプロフィールを紹介します。
- 名前:西田 寿子
- 読み方:にしだ ひさこ
- 本名:西田 寿子
- 生年月日:1951年?月?日
- 年齢:73歳(2024年10月現在)
- 出身地:大分県
- 職業:主婦・元女優
- 身長:不明
- 血液型:不明
寿子さんは、元女優で現在は俳優・西田 敏行(にしだ としゆき)さんの奥様です。
敏行さんと同じ劇団「青年座」に在籍していました。
1974年8月に、敏行さんとの結婚を発表しました。
【顔画像】西田寿子は若い頃から綺麗で元女優!西田敏行の妻だった!
写真から分かる通り、寿子さんは凛としたキレイな女性ですね。
画像は、第一生命のCMで夫婦共演した時のものです。
ここからは寿子さんと敏行さんの若い頃から現在までのエピソードをまとめてみました!!
- 馴れ初めは劇団「青年座」
- 大分に手紙を送り続け結婚
- 結婚後すぐは貧乏で新婚旅行も行けなかった
- その後も献身的に西田敏行をサポート
馴れ初めは劇団「青年座」
1968年の21歳から劇団「青年座」に所属していた敏行さん。
敏行さんが24歳の頃に、寿子さんが劇団「青年座」に研究生として入団しました。
敏行さんは寿子さんに一目惚れし、猛アタックして交際することになりました。
出会って数ヶ月で敏行さんは、寿子さんの4畳半のアパートに転がり込みます。
その際に寿子さんは、
「女優だから鏡台は必要だけど、その他はいらない」
と発言し、敏行さんは心を打たれたようです。
寿子さんの発言は、カッコいいですね。
そうしたのちに、寿子さんは劇団を辞めます。
辞めた理由は女優の夢を諦め、まだ無名だった敏行さんを支えるためでした。
アルバイトをいくつも掛け持ちし、経済的に敏行さんを支えました。
大分に手紙を送り続け結婚
寿子さんが地元の大分に帰っていた時、敏行さんは毎日手紙を送って結婚を迫っていました。
その甲斐あって、1974年8月に結婚を発表しました。
敏行さんが27歳、寿子さんが23歳になる年に結婚されました。
その手紙を寿子さんは未だに大切に持っており、
夫婦喧嘩のときにその手紙を出して、「どう落とし前をつけるんだ」と言うそうです。
敏行さんよりもアウトレイジですね(笑)
結婚後すぐは貧乏で新婚旅行も行けなかった
結婚後は敏行さんも売れる前ということもあり、お金がなくて新婚旅行も行けませんでした。
また結婚を機に寿子さんが借りていたアパートから、
世田谷区内の家賃3万5千円の2Kアパートに2人で引っ越しました。
そうしたお金がない中で、敏行さんが役者に集中できる環境を整え続けた結果、
引越しからわずか1年で敏行さんはドラマや映画で活躍します。
1977年10月に、世田谷区粕谷に約4,000万円のマイホームを購入されました。
敏行さん、大躍進ですね。
その後は役者として引っ張りだことなり、数々の名作に出演しました。
- 釣りバカ日誌シリーズ
- ゲロッパ!
- アウトレイジ ビヨンド
- ドクターX〜外科医・大門未知子シリーズ
- 旭山動物園物語 ペンギンが空を飛ぶ
一部ではありますが、どれもこれも見たことがある作品ばかりですね。
その後も献身的に西田敏行をサポート
敏行さんは、これまで多くの病気・怪我をしていました。
ヘビースモーカーで大酒飲みで有名だったので、身体を壊すのは時間の問題でした。
そうした中で、2016年は病気・怪我で入退院を繰り返す年でした。
- 頚椎亜脱臼
- 胆のう炎
寿子さんはそんな敏行さんを、献身的にサポートしていました。
通院やリハビリ、買い物などに付き添い、仲睦まじい姿を見せてくれていました。
本当に愛情深い方なんだと思われます。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
今回は、西田寿子さんのプロフィールと経歴や若い頃の画像・エピソードをまとめてみました。
それにしても、寿子さんがとても愛情深くて敏行さんの演技に惚れ込んだ人というのが分かりました。
敏行さんが生涯現役で役者を出来たのは、寿子さんが居たからでしょう。
お互いに無くてはならない存在だと思いました。
西田敏行さんのご冥福をお祈りいたします。
コメント